tyaxn魂

趣味は塩麹を作ることです。

小学生のころ

12/6

小学生のころ何をしていましたか、と聞かれることがある。大体、ポケモンをやったことがないとか、俳優の○○を知らないとか言うと、そういう質問をされる。(○○は私は知らないから分からない)

同世代感というのは共感の仕方の中でもワイルドカード寄りで、それが外れると質問者は困ってしまうらしい。確かに、無難に天気の話題を振ったところ、雨ってなんですかなんて言われたら面喰ってしまう。

人間は理解できないを見ると理由付けを試みる。火星人だとか、タイムスリップしてきたとかだ。しかし、私は21世紀に生まれたし、地球はおろか日本から出たことすらない。だから、そういうラベル付けは明らかな間違いなのだけれど、イメージとして不都合なものではないから否定しないでおく。そうすると、この人は江戸時代から来たんだなという態度で接してくれるし、すんなり私はそう現象なのだと受け入れてくれるようである。

最初の質問に戻ると、私は小学校のころタオルの端を縛って作ったヌンチャクで同級生と戦っていました。ヌンチャクで戦っている小学生というのはとてもお洒落なので、こういう回答をしてみる。

これは嘘ではないのだが、当然六年間ずっとヌンチャクで戦っていたわけではない。六年生の終わりごろ、近所に住んでいた男の子二人に毎日のようにヌンチャクでの決闘を申し込まれたので、渋々付き合っていただけである。(彼らの持ちネタは決闘後にジャーナリストと別れの挨拶をすることだった。それくらいしか覚えていない。)

私にはこういう癖があって、何か説明が難しいことや、説明したくないことがあると、取って付けたように話を飛躍させて物語を作ってしまうらしい。小学校時代に何をしていたかというのは私にとってあまり明確に答えたくない、繊細な問題だと思う。小さいころというのは環境に大きく作用されるから、それを明示することは出自を開示するのと同じだからである。

他には、水を含ますとゲル状になる塊や、六角ナット、木片などを学校で集め、休み時間に見せ合っていた。これは小学五年生くらいの流行で、フィンランドから帰ってきたばかりのKが主なメンバーであった。屋上へ向かう階段があって、屋上は普段開放していないのでデッドスペースになっていた。そこを隠れ家にして密かにがらくだでパチンコを作っていた。

ダブルクリップを分解してΩ型の金具に輪ゴムをひっかけて、ダブルクリップに戻して、それからゼムクリップを伸ばして釣り針型にすると、簡単にパチンコが出来るのである。小学生というのは柔軟なので、別にスリーディーエスとかウィーユーなんて持っていなくても楽しく遊ぶことが出来るのだと思う。

私がスリーディーエスを持っていなかったのは親が買い与えなかったからという理由もあるけれど、兄は自分で買っていたし、別にその気になって交渉すれば買ってもらえたのかもしれない。しかし、正直なところスリーディーエスが何なのか良く分かっていなかったし、あまり欲しいと思わなかったのだと思う。

そんな一月のある日、父親が急にテレビを捨ててきた。どうやら、兄が昼ドラの見過ぎで勉強しないのが癪だったらしい。私はテレビはあまり熱心に見ていなかったけれど、おじゃる丸は嫌いではなかった。だから、テレビが捨てられた時も、もうおじゃる丸が見られないんだなと思ったことを覚えている。悲しかったかというとそんなことはなく、テレビがいきなりなくなるという状況が滑稽で、母親とゲラゲラ笑っていた。

一般的に、同世代感が欠如しているというのは肯定的に働かないらしい。何故なら、あるはずの共通の話題がないからで、同級生の話している言語が理解できないという現象が生じるのだ。例えば同級生が図工の時間に作っていたクリーパーの工作は意味不明だったし、○○は国民的ゲームだと力説してくる同級生に生返事をしていた。しかし、私がいじめられなかったのは、人当たりが良かったのと、不快にならない程度の容姿があったことと、周囲の小学生より賢かったからで、結局マージナルな人間が屈折することなく生き残るというのはそれだけ環境において優位な地位に属しているからである。だから、頭がおかしいけれど虐げられていないとは、その人間が恵まれていることであり、申し訳ないことに、頭がおかしいが故に迫害されていた人とは共感の軸がいくらかずれている感覚がある。

小学校には中休みというものがあって、10時半頃の20分ほど外に出ることが許されている。私は小学四年生のころ、中休みにラバー製の校庭をハイハイすることで猫になりきっていた。どういう趣向の遊びだったのかは覚えていないが、ハイハイすることは確かである。この行為を咎められないばかりか、なんと共にハイハイする同志がおり、集団でハイハイしていたようである。小学校の中休みに校庭をハイハイする人間に共感することは不可能である。でも、それが愛嬌のある小学四年生であったら受容することは容易なのである。要するに、私は周囲に甘やかされていたわけだ。だから、同級生の話題に追いつく必要もなかったし、一度も文化圏の中心に行けなかった原因なのだと思う。

一日四食

11/2

朝ごはん 9時 卵かけごはん・味噌汁

昼ごはん 12時 親と中華を食べる

夕ごはん 18時 キーマカレー作る

夜ごはん 24時 卵かけごはん・味噌汁

ブログを静的サイトを作って暫くやっていたが、スマホで更新できないとなかなか書く気が起きないので、はてなブログに下書きしてまとめてブログに移すことにしようと思う。

tyaxn.sakura.ne.jp

今日はメルカリで買った統計力学の本が届いた。バニラとヒノキを混ぜたような匂いがした。

愛について

6/18

「愛とは即ち、混ざり合うことについての欲望である」

ある日私は、託宣を受けた。

母親にしがみつく幼児から始まる愛という感情は、徐々にその対象を移し替え、 そして最後には元の場所へ帰着する。 この大いなる潮流が円環する時間の中でさらに繰り替えされることで、世界の原動力となる。

溶け合うことについての崇高さは私に踏み入ってはならない楽園への道しるべを授け、私は、愛を究極的に象徴するための手段の一つが、蛹の中身の混合であると気が付く。蛹になる昆虫は、変態の際に(一部の器官を除いて)体のほとんどをどろどろに溶かしてしまうが、

もし蛹になった自分と、愛する人のそれを混ぜ合わせたならば、

私は想像をめぐらす。

二人の神経が絡み合うことで私が味わうかつて自分のものではなかった感覚について。 互いのシナプスと電気信号が共鳴することで湧き起こる、オリジナルを平均化した、もしくは足し合わせた、あるいは元とは全く異なる、私たちを支配する感情について。 ニューロンの複雑な一体化によって規定される、網目状の新しい記憶について。 そして何より、エゴイズム的価値観として、即ち自己愛として消化される、愛自身について。

私は、知的好奇心に溢れていた。

図書館で蛹の中身についての文献を読み漁る。そして神秘的な様に耽ったのと同時に、思い描いた完全な愛が存在しないことを知る。

それでも私は幻想を捨てきれなかった。

キャベツ畑で頃合いの紋白蝶の蛹を二つ収穫した。夕暮れ時の薄暗い空だった。それから私は小さな生命をビニル袋に入れて持ち帰った。腹をカッターナイフで切って内容物を取り出し、同一のジャム瓶に詰めた。個を失った、どろどろした内容物の織りなす不純な色彩が、瓶の表面に生々しく広がった。

それは私を欺くかのように無秩序で、

思考が追いつかないうちに私は嘔吐し、その産物はジャム瓶を支配するゲル状の物体に対する皮肉なアナロジーとなった。結局私はジャム瓶の中に水をいっぱい入れて、濁った液体を捨てる作業を何度も繰り返した。半分泣きながらだった。かつて二つだった生命は排水管の中へ音もなく吸い込まれて行き、私は空虚をしばらく見つめていた。

こうして私は再び卵の中へと戻った。円環を諦め、来た道をそのまま戻った私には、愛する対象を自分自身にすることで自己完結した回路を象り、その輪を閉じるほかに愛を受け止める手段がなかった。 しかし、それすらも億劫だった。

私は既に、神から愛を奪われていた。それと同時に、愛とは如何なるものかを切実に感じ取った。

あたまがとける感覚について

5/4

本当はこのブログのタイトルは「非対称な世界とポスト物理学について」としたかった。 世界にもし従来の物理学が目指すような単純な法則、構造があるのならば、世界はごくごく対称的なのではないか、昨日の帰り道、家路の周辺に広がる建物をと道草を見ながらそんなことを考えていた。この世界は非対称過ぎると。 そこで私はポスト物理学を提唱しようと思いついた。世界が非対称である原因は、世界の根本にある乱数性であると仮定し、この不確からしさを原点とする物理学こそがポスト物理学である。

ここで一時私は満足してしまったのだが、今日の朝、ほぼ無人の山手線の中でよくよく考えたところ、この理論にはいささか無理があるという結論に達した。なぜならこの世界には一定の秩序、そして一定の向きがあるからだ。 少なくとも私は、現在のニュートン力学、あるいはその修正の理論が明らかに破られている場面を見たことがなかったのだ。

最終的に私は、世界が一見非対称的に見えるのは観察者が歪んでいるだけで、世界そのものはごくごく対称的であるという結論に達した。つまり世界は完全なるオブジェクトで、私たちはぐにゃぐにゃした切断面に過ぎないということである。結局神は正しかったのだ。

自らの誤り、そして不完全さに気がついた私は憂鬱になりながら家路を辿った。家に帰るとまずお風呂に入った。私はお風呂でアイスを食べた。初めての経験だった。熱湯を頭から浴びながら食べるアイスは、とてもひんやりとしていて、私の頭はぼーっとなった。私は考えることを全て放棄し、溝落ちへと流れていく溶けかけのみかんアイスの融解熱と自らを一体化させることだけに集中した。これがあたまがとける感覚なんだと知った。 とても幸せな一日だった。