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小学生のころ何をしていましたか、と聞かれることがある。大体、ポケモンをやったことがないとか、俳優の○○を知らないとか言うと、そういう質問をされる。(○○は私は知らないから分からない)
同世代感というのは共感の仕方の中でもワイルドカード寄りで、それが外れると質問者は困ってしまうらしい。確かに、無難に天気の話題を振ったところ、雨ってなんですかなんて言われたら面喰ってしまう。
人間は理解できないを見ると理由付けを試みる。火星人だとか、タイムスリップしてきたとかだ。しかし、私は21世紀に生まれたし、地球はおろか日本から出たことすらない。だから、そういうラベル付けは明らかな間違いなのだけれど、イメージとして不都合なものではないから否定しないでおく。そうすると、この人は江戸時代から来たんだなという態度で接してくれるし、すんなり私はそう現象なのだと受け入れてくれるようである。
最初の質問に戻ると、私は小学校のころタオルの端を縛って作ったヌンチャクで同級生と戦っていました。ヌンチャクで戦っている小学生というのはとてもお洒落なので、こういう回答をしてみる。
これは嘘ではないのだが、当然六年間ずっとヌンチャクで戦っていたわけではない。六年生の終わりごろ、近所に住んでいた男の子二人に毎日のようにヌンチャクでの決闘を申し込まれたので、渋々付き合っていただけである。(彼らの持ちネタは決闘後にジャーナリストと別れの挨拶をすることだった。それくらいしか覚えていない。)
私にはこういう癖があって、何か説明が難しいことや、説明したくないことがあると、取って付けたように話を飛躍させて物語を作ってしまうらしい。小学校時代に何をしていたかというのは私にとってあまり明確に答えたくない、繊細な問題だと思う。小さいころというのは環境に大きく作用されるから、それを明示することは出自を開示するのと同じだからである。
他には、水を含ますとゲル状になる塊や、六角ナット、木片などを学校で集め、休み時間に見せ合っていた。これは小学五年生くらいの流行で、フィンランドから帰ってきたばかりのKが主なメンバーであった。屋上へ向かう階段があって、屋上は普段開放していないのでデッドスペースになっていた。そこを隠れ家にして密かにがらくだでパチンコを作っていた。
ダブルクリップを分解してΩ型の金具に輪ゴムをひっかけて、ダブルクリップに戻して、それからゼムクリップを伸ばして釣り針型にすると、簡単にパチンコが出来るのである。小学生というのは柔軟なので、別にスリーディーエスとかウィーユーなんて持っていなくても楽しく遊ぶことが出来るのだと思う。
私がスリーディーエスを持っていなかったのは親が買い与えなかったからという理由もあるけれど、兄は自分で買っていたし、別にその気になって交渉すれば買ってもらえたのかもしれない。しかし、正直なところスリーディーエスが何なのか良く分かっていなかったし、あまり欲しいと思わなかったのだと思う。
そんな一月のある日、父親が急にテレビを捨ててきた。どうやら、兄が昼ドラの見過ぎで勉強しないのが癪だったらしい。私はテレビはあまり熱心に見ていなかったけれど、おじゃる丸は嫌いではなかった。だから、テレビが捨てられた時も、もうおじゃる丸が見られないんだなと思ったことを覚えている。悲しかったかというとそんなことはなく、テレビがいきなりなくなるという状況が滑稽で、母親とゲラゲラ笑っていた。
一般的に、同世代感が欠如しているというのは肯定的に働かないらしい。何故なら、あるはずの共通の話題がないからで、同級生の話している言語が理解できないという現象が生じるのだ。例えば同級生が図工の時間に作っていたクリーパーの工作は意味不明だったし、○○は国民的ゲームだと力説してくる同級生に生返事をしていた。しかし、私がいじめられなかったのは、人当たりが良かったのと、不快にならない程度の容姿があったことと、周囲の小学生より賢かったからで、結局マージナルな人間が屈折することなく生き残るというのはそれだけ環境において優位な地位に属しているからである。だから、頭がおかしいけれど虐げられていないとは、その人間が恵まれていることであり、申し訳ないことに、頭がおかしいが故に迫害されていた人とは共感の軸がいくらかずれている感覚がある。
小学校には中休みというものがあって、10時半頃の20分ほど外に出ることが許されている。私は小学四年生のころ、中休みにラバー製の校庭をハイハイすることで猫になりきっていた。どういう趣向の遊びだったのかは覚えていないが、ハイハイすることは確かである。この行為を咎められないばかりか、なんと共にハイハイする同志がおり、集団でハイハイしていたようである。小学校の中休みに校庭をハイハイする人間に共感することは不可能である。でも、それが愛嬌のある小学四年生であったら受容することは容易なのである。要するに、私は周囲に甘やかされていたわけだ。だから、同級生の話題に追いつく必要もなかったし、一度も文化圏の中心に行けなかった原因なのだと思う。